2012年5月1日火曜日

塩谷瞬・高岡蒼甫・沢尻は、井筒監督にパッチギされますか?






1 映画パッチギは呪われているのか?

各方面をお騒がせの塩谷瞬ですが、管理人は二股疑惑にはあまり興味がありません。

が、しかし、

またも、映画『パッチギ!』の主要な出演者が世間を騒がせているという点には、

大変に興味を惹かれます。この映画、呪われてるんじゃないの?






2 高岡は公開初期の段階でパッチギされていた?

Motoharuの日記 高岡蒼甫の件について(2)苦難の俳優人生とアンチ・マスコミ



http://d.hatena.ne.jp/Motoharu0616/20110731/1312087255 より



在日朝鮮人役を演じ、韓国のマスコミによって「親韓反日」俳優として

事実を「歪曲」されて報道された結果、日本国内における高岡の評価まで

地に落ちた経緯を踏まえれば、それは全くの必然だろう。

こうした「マスゴミ」による「印象操作」「レッテル貼り」に苦しむ高岡…




Motoharuの日記の管理人さんのおっしゃる「全くの必然」という論理展開には、

多少異論も御座いますが、印象操作やレッテル貼りによって苦悶する高岡という点、

多くの方は納得されるのではないでしょうか。





高岡蒼甫は、2011年7月23日、自身のツイッターにおいて、あの発言に至ります。



「正直、お世話になった事も多々あるけど8は今マジで見ない。

韓国のTV局かと思う事もしばしば。しーばしーば。

うちら日本人は日本の伝統番組求めてますけど。

取り合えず韓国ネタ出て来たら消してます^^」。
このツイッターでの発言によって、

またもマスコミによる印象操作、レッテル貼りの格好の餌食となってしまう。



注目すべきは、前回の被害と記憶に新しい最近の被害は、

レッテルがまるで逆ベクトルだという点です。



この事実ひとつをとっても、マスコミの無責任さ、浅はかさが、垣間見えます。

マスコミにとっては、騒ぎが大きくなりそうな有名人の発言であれば、

それだけで扱うに足りるネタというわけですね。

発言の背景や、事情は、全く考慮の外なのです。



そして、見逃せないもう一つの事実。

それは、前回、親韓反日的発言の際のバッシング度合いと

今回、反韓発言を行った場合のバッシングの程度は、明らかに異なる

という点です。



3 パッチギ!の政治性

映画の印象的(?)な1シーンです。



以下、ぴあ映画生活より抜粋 http://cinema.pia.co.jp/com/11214/266377/



康介(塩谷瞬)に向かって、

チェドキ(尾上寛之: アンソン(高岡蒼佑)の弟分)の伯父(笹野高史)は、

激昂して以下のようなセリフを…



「…ウリナラで田植えしとった。紙切れ突き付けられて、トラック放り込まれたんよ!

ハラモニ泣いとった、田んぼひっくり返って泣いとったよ!

プサンから船で、海、飛び降りて死んだろうか思った!



国、空っぽなる程、連れて来られたよ!



 お前らニッポンのガキ、何知ってる?

知らんかったらこの先もずーっと知 らんやろ、バカタレ!

 ワシらはお前らと違うんやぞ!」



チェドキの伯母も言う。



「生駒トンネル(※)、誰掘ったか知ってるか?

 請け負ったんは大林組か小林組か知らんけど…。

国会議事堂(※)の大理石、どっから持って来て、誰が積み上げたか知ってるか?」



※ 旧生駒トンネル(開通1914年!) 
※ 国会議事堂(完成1936年!) 

太平洋戦争1941年~1945年




この映画の姑息な捏造は2つあります。




① 強制連行の嘘

② それに伴う強制労働の嘘




① 強制連行の嘘

 まず、映画には「強制連行(徴用、徴兵を表す造語)」という言葉が使われていなかった、

だから、①のような捏造は認められない、という方がいるようですが、




ここで主張したいことは、そのような表面的な事象ではありません。




もし仮に伯父の言うことが、“真実であったとしても”

拉致、あるいは誘拐といった「個人の犯罪」であるという事をまず認識すべきです。

決して日本国家(あるいは日本国民)が責められる問題ではありません。

日本人の犯罪だから日本が全部責任を持て、などという言説は、

無視して構わないほどに程度が低い論理になりますので相手にしないようにしましょう。




ちなみに、

トラックを使い、国が空っぽになるほどの拉致や誘拐といった犯罪があった、

という証拠は皆無です。こんな大がかりな人さらい、記録に残らずできるもんですかね?




次に、

この映画の制作者は「強制連行(徴用、徴兵を表す造語)」を匂わせる様に描いた

と的確に分析できた方に対して…




上に挙げられているように、

太平洋戦争はまだ始まっておらず、ゆえに「徴用」も「徴兵」も行なわれていません。

また、軍や政府がそれ以外に朝鮮人を徴用した、といった証拠は、

大勢の、様々な立場の学者が調べているのにも関わらず、一切出てきません。




以上、在日の伯父が言っていること(制作者が語らせていること)は、完全な捏造です。




② それに伴う強制労働の嘘

 ①とは切り離して考えたい、と言われる方がいるようなので、ご希望の通り、

切り離して考えてみましょう。話は簡単です。




日本にはるばる“出稼ぎ”に来て、

「生駒トンネル」や「国会議事堂」の建設に携わった朝鮮人の方々がいた。

それだけの話です。




現在でも、自分の居所周辺より効率のいい稼ぎ所があれば、人は出稼ぎに出る。

経済的に考えて、極めて合理的な行動であって、その行動に不自然さはありません。




注目したいのは、むしろ当時の日本政府は、

日本人の失業者が増えたために「労働者募集取締」をして

増えすぎた朝鮮人労働者を規制したという事実があった点です。

それだけ大量の朝鮮人が日本に来て働こうとした。

どうして無理矢理日本に連れて来る必要があるんでしょうね?




②の強制労働の問題点は、

①の強制連行性とリンクさせて、このシーンを観た者をミスリードをさせようとしているところ

にあります。




強制連行(①)され→無理やり働かされた(②)、と…




しかし、①はそもそも時間がずれており、さらに存在する証拠は無く、

ゆえに、②に至っては単なる出稼ぎであって、何も問題になりようがありません。




この映画の主人公のように、観客の中には、

自分の無知を恥かしいと思ったり、謝罪する人がいるようですが、

こんなプロパガンダに騙されないで下さいね。



このシーンは、映画紹介の際によく引用されますね。

ここに、映画『パッチギ!』が日本人に向けて発したいメッセージが込められている

といってよいでしょう。そのメッセージとは「日本国民は謝るべきだ」というものです。



4 井筒監督の思想

まず、在日韓国人3世による井筒評をご覧ください。



「フィクション」 に隠された政治的メッセージ 北朝鮮擁護の「潮流」

(統一日報 2006/03/31)


映画「パッチギ!」

2月、韓国で封切した「パッチギ」。韓国のマスコミは、井筒監督の勇気が生み出した 「在日朝鮮人と日本人の葛藤と和解を描いた傑作」と絶賛している。この映画、日本では評価がわかれた。 識者や映画評論家の中には映画そのものの質を問う声とともに、 政治的意図を指摘する声がある。映画に込められた驚くべきメッセージとは何か。

  韓国で開かれた映画「パッチギ」の記者会見で主演の高岡蒼佑、沢尻エリカと井筒和幸監督が記者の質問に答えている(12日、ソウルロイヤルホテル) 。



2002年の小泉訪朝以降、日本人拉致という北朝鮮の国家犯罪が世界的に明らかになり、さらに「核兵器保有宣言」に見られるように、 その体制の危険性が火を見るよりも明らかとなった。さらに、北朝鮮を積極的に擁護し、反米・ 反日政策に邁進する韓国の盧武鉉政権の問題性も明らかとなっている。実のところ、 2005年1月に公開された映画「パッチギ!」(井筒和幸監督、シネカノン)は、こうした状況の中で位置づけられるべきものといえる。

かつて北朝鮮体制は、日本国内における、いわゆる 「進歩的文化人」という名の左翼勢力の支持・協力を獲得することにより、その体制の本質の隠蔽に、かなりの程度成功してきた。しかしながら 「拉致」が明白となった状況で、一般の日本国民において、北朝鮮体制や盧武鉉政権の問題性がはっきりと認識される中、こうした 「進歩的文化人」はその論拠を失い、国民の支持を失っている。つまり、本来の現実の世界の議論において、 「左翼勢力」の敗北は明白であるのだ。

こうした中、左翼勢力や北朝鮮擁護派は、 「フィクション」の世界、さらには「娯楽」あるいは「文化」の世界の中に自らを位置づけることにより、 すでに敗北が明確となった本来の議論を意図的に回避しつつ、 北朝鮮体制の擁護といった政治的メッセージをその中に秘めようとする巧妙な作戦へとシフトしていく必要に迫られているといえる。 まさしくこのタイミングで登場したのが、映画「パッチギ!」である。これは自らの政治的メッセージを、ラブストーリーなどを用いることで巧妙に隠蔽しつつ、広く拡散させていこうとするものだ。 こうした試みは意外なまでに成功しているといえる。そもそも、金正日は、 北朝鮮体制の後継者としてのキャリアの中で宣伝娯楽映画の作成にも取り組んできた人物であり、 フィクションを用いての大衆煽動はお家芸なのだろう。そうした手法が日本社会において用いられているとしても何ら不思議ではない。

映画「パッチギ!」の内容そのものの問題性については、すでに拙稿「『パッチギ!』 は朝鮮総連翼賛映画か」『諸君!』(2005年4月号)で指摘したので、詳しくはそちらを参照されたい。 それにしても井筒監督をはじめとした主要人物が、明らかに北朝鮮擁護を展開している点は重要だ。例えば井筒監督は、 差別と貧困が待ち受けていた北朝鮮への帰還事業に関連して平然と「朝鮮のほうが太ってましたね。韓国のほうが痩せてた」などと述べている。 また、「パッチギ!」の製作に大きな役割を果たしたシネカノンの李鳳宇も、 「朝鮮総連の幹部とお話しする機会があったんですが、そうしたら「『朝流』はできないんだろうか」というんです…… 僕はできるんじゃないですか、と応えました」(コリアNGOセンター機関紙)などと述べている。「パッチギ!」が北朝鮮擁護の「朝流」 であることを示唆しているのである。

井筒監督は「若い人には、この映画を見て、 泣いて笑って、そして知ってほしい」(2005年2月9日の『朝日新聞』(タ刊))などと語っているのだが、本当に知るべきは、 この映画に込められた巧妙な政治性であろう(文中敬称略)。

浅川晃広 1974年、在日韓国人3世として出生。 1997年オーストラリア国立大学留学。1999年大阪大学大学院修士、同年日本国籍取得。2002年から2004年、 在オーストラリア日本大使館専門調査員を経て、2005年より、名古屋大学講師。同年博士(学術)学位取得。専門は移民政策論、オーストラリア政治社会論。著書に『在日外国人と帰化制度』(新幹社、2003年)



超映画批評 『パッチギ!』  (一部抜粋)

本作で”感動”できるのは、朝鮮人か、朝鮮側の立場、言い分に感情移入できるお客さん限定だ。あなたがもし愛国的な日本人だった場合、この映画を見たが最後、 「冗談じゃない!」と激怒して、劇場を出てくる事になるだろう。

というのも、本作は基本的に自虐的歴史観というか、 反日風味がたっぷりの映画だからだ。何しろこの映画のストーリーは、無知な日本人少年が朝鮮語を勉強し、彼らに溶け込むよう努力し、「祖先が起こした過去の犯罪的行為」 とやらを彼らから知らされショックを受けながらも、それでも彼らとの友情を求める話なのだ。

そして、よくよく考えてみると、この映画では朝鮮人側が日本人の立場を思いやったり、歩み寄ってゆく様子がほとんど伺えない。日本人の主人公は彼らの立場を必死に理解しようとし、また歩み寄っているが、 彼らの方は結局日本を認めてはいない。

片方が一方的に譲歩したつきあいを友情関係だといわれても、私は同意しかねる。ケンカして友情らしきものが芽生える様子や、国籍を超えた愛などをそれらしく描いていても、しょせんは薄っぺらい奇麗事ではないか。劇中で語られる歴史認識にしても、彼らからの一方的な言い分をゴメンナサイと受け入れるのではなく、誤りはこちらからも指摘していかないと、相手のためにもならない。
まことに、真っ当な指摘です。作品に秘められた制作者の意図を的確に言い当てていると思います。ただ、韓国と朝鮮を持ち出して、朝鮮寄りだ!などと言う点は、ちょっとどうでもいいよという感じがします。日本人として、半島の人らがよくいう「とりあえず謝罪しろ」というメッセージには断固として反対したいと思いますね。



youtubeから…『井筒監督、事実誤認もここまでくるとギャグ~』を引っ張ってみました。



さて、表題ですが、高岡は井筒にパッチギされたと言ってよいと思います。

自分で書いていて「なんのこっちゃ?」と思いますが、要は、いいように振り回されたということが言いたいわけです。



塩谷と沢尻? 勝手な推測ですが、ただの自爆だと思います。まあ、マスコミのお得意の大騒ぎでありますから、高岡問題と違って、あまり興味を持たないというのが正解のような気がします。まんまと視聴率獲得の罠に引っ掛からないように…



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