2012年4月28日土曜日

自民党が「憲法改正草案」を発表

自民党公式サイト(PDFファイルを入手できます。)



自民党憲法改正草案「前文」

 日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴(いただ)く国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される。
わが国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し、今や国際社会において重要な地位を占めており、平和主義の下、諸外国との友好関係を増進し、世界の平和と繁栄に貢献する。
日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。
われわれは、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、教育や科学技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させる。
日本国民は、良き伝統とわれわれの国家を末永く子孫に継承するため、ここに、この憲法を制定する。

選挙権は日本国籍を有する成年者に限定

MSN産経ニュースより引用
管理人の注目は、改正案の第15条。
「公務員の選定を選挙により行う場合には、日本国籍を有する成年者による普通選挙の方法による。」
現行憲法の15条1条は…
「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。」と規定している。


現行の「国民固有の権利」という抽象的な表現から、
「日本国籍を有する成年者」の権利として具体的に規定された。

現行の15条1項の「国民」という文言であれば、“必ずしも国籍を有することを必須の条件とするものではない”との解釈を許容する余地が出てきてしまう。
これに対して、「日本国籍を有する成年者」と規定されていれば、国籍を取得していることが選挙権の前提であることが明確化される。

ただし、国籍を有する者をどのように定めるかについては、憲法自身が明確にするわけではない。これは、国籍法という法律によって定められる。日本で生まれたなら日本国籍を取得するのか、日本国籍を有する親から生まれていなければ国籍を取得できないのかなどの個別的な事項をより具体的に規律するのが国籍法である。

日本のいかなる法律もそうであるが、国籍法もまた、憲法の下にある。すなわち、憲法の理念に背く規律を行えば、国籍法は違憲であり無効となる。改正案が実現したと仮定すると、改正案の15条のみならず、地方参政権を規定する第94条や前文も参照して、憲法全体の精神を参照して、個々の法律、ここでは国籍法が憲法に適合しているかどうかを解釈することになる。

そこで、前文の「日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。」という理念が重視されるべきである。すなわち、国と郷土を自ら守る気概のある者こそ日本国民であるという理念である。ここでは、抽象的ではあるものの、国民の国防の義務が記されているといってよい。国防とは、なにも兵役の義務に尽きるものではなく、納税の義務などと同様に国民であれば当然に負うべき負担なのである。これは、国民というのは、いざとなればその国家と命運を共にせざるを得ないということを意味する。国籍というのはそうした重いものであり、そのような重い荷物を背負う気概がなければ、国籍保有者であるとは認められない。

そのように考えると、場合によって有利な国籍を選ぶことのできる重国籍などは、国籍の概念からして決して認めることのできない制度だということができる。

今回の、自民党による憲法改正草案は、外国人参政権を明確に否定するとともに、国籍概念に明確な指導原理を与えることのできる大変優れた案だといえる。

この改正案は、外国人参政権付与法案や重国籍法案に積極姿勢を示す民主党に対する強烈なアンチテーゼである。
しかし、見逃せないのは、公明党に対しても、強烈なメッセージになるという点である。事実、この自民党の改正案に対して、公明党の山口代表は、集団的自衛権の行使容認について「安易に認めると自衛隊員が命まで失う道を開く」と消極的な見解を発表している。さらに、ある公明党幹部は「自民党は野党になってから保守回帰がひどくなり、バランスある議論がなくなった」と語ったとされる。民主党だけではなく、公明党も外国人参政権に対して積極的な姿勢を見せている。本音のところでは、自民党の外国人参政権に対する極めて明確な反対姿勢が気にくわないのであろう。

そして、自民党の外国人参政権に対する姿勢に対して快く思っていないのは、我が国の多くのマスコミも同様である。毎日新聞の2012/04/28(土)5面の小見出しには、「右旋回」公明は懸念とある。自民党結党の精神である保守への回帰を示した改正案に対して、「右旋回」との評価である。この右に偏るという表題は、公明党関係者の発言を記載した上で、毎日の記者が付した表題である。ここに、記者の底抜けの悪意を感じ取ることができる。



合わせて読む→民主主義では決められないこと

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